乳がんと副乳がん、それぞれの手術に対する思い

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私は30代で2度、乳がんに罹患して、1度目は乳がん、2度目は副乳がんだったわけなんですが、どちらとも手術で罹患部分を切除する治療を受けました。

乳がん治療の手術は、たいていの場合は乳房を切除するということ。

 

1度目の乳がんのときと違って、2度目は副乳がんということで、切除する部分が乳房そのものではなく、脇の辺りを切除することになりました。

乳房は手術で触りません。

なので、乳房を触らないというだけで手術をするという選択に、迷いはひとつもありませんでした。

さらに、脇の辺りの生検をしてからというものの、脇の痛みが日に日に増していいったので、むしろ手術でこの痛みが取れるなら、喜んで手術を受けます、というくらい手術に対しては前向きでした。

「この痛みから解放されたい」という思いがとにかく強かったです。

 

1度目の乳がんのときは、「手術」ということが、本当に精神的に重くのしかかかりました。

自分の乳房を切る、ということがとても受け入れがたかったからです。

当時、私の腫瘍の大きさは3cmを若干超えていました。

乳がんの場合、部分切除か全部摘出か、どちらにするかを決める基準が3cmを超えるかどうか、だと説明され、どちらにするかは自分で選択することになりました。

もうとんでもなく悶々としながらどちらにするかを考えました。

治すことを目指してどんな治療をしていくのか・・・治療をするって選択の連続なんだな、と思い知らされました。

ドクターが勝手に決めてくれるわけじゃない。

ドクターは方法を教えてくれるけど、どの方法にするかを選ぶのは患者の役割なんだな、と身に沁みました。

悶々としながら、頭の中に渦ができるような感覚で、だけど、とうとう私は選択しました。

「部分切除にする。」

この選択をした理由は、消去法です。

もし全部摘出したら・・・ということをイメージした時に、自分が精神的に耐えられない、と判断したからです。

手術後に精神的に耐えられず、暗い気持ちで生きていく状態になるくらいなら、部分切除してメンタルは保てる方を取ることにしました。

もちろん、再発が怖くないわけじゃないけど、自分が受け入れられる範囲の選択をするしかなかったんです。

全摘された方のお話を調べたりもしました。

みなさんそれぞれに強い気持ちをもって選択されていて、本当に脱帽するしかありません。

私にできない選択をしている人がいる。

そのことは、正直、自分の部分切除するという選択を揺るがせることもありました。

だけど、私にできるのは私なりの選択しかない。

選択した後、自分の人生を生きていくのは自分だから。

 

乳がんって酷だなって思いました。

だって、乳房って身体の表面にあるものだから、容姿的に、視覚的に存在感が大きいんです。

もしもこれが内蔵だったら、容姿的な変化が少ないので、私はこんなに悩まずに、手術してください。と選択できていたのではないかとも思います。

もちろん内蔵の手術は重んじていますが、外にあるか内にあるかで、考え方も変わりそうだな、と思いました。

 

私は部分切除をすると選択し、手術日程も決まりました。

でもね、実は手術の前日まで、自分の乳房が部分であっても切除されることを、肯定できずに、受け入れられずにいました。

頭ではわかっているんですよ、がんを取り除くためには切除しないといけないし、治すためには必要なことだって。

治したいという気持ちはもちろんある。

だけど、それとこれがすんなり繋がってはいないわけです。

自分の乳房が一部消えてなくなることに対して、ほんっとうに色んな色んな思いがありました。

手術の前日、入院していた病室で私はひとり悶々としていました。

明日手術をしたら、今の私の胸は一部消えてなくなってしまう。

その前に、私は今のこの気持ちを、伝えないといけない。

そう思い、持っていたルーズリーフにありったけの思いを書きだしました。

私が書いたのは自分の胸に宛てた手紙でした。

書いた手紙は声に出して、お胸さんへ宛てて読みました。

大号泣の時間でした。

この行動のおかげで、私は翌日の手術をむかえることができました。

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